一日の仕事を終え、静かにグラスを傾ける。そんな時間に、スッと心に馴染むお酒があります。
こんにちは。「地酒の店かじや」の宮崎文徳です。
私は昭和51年生まれ。今年9月で50歳になります。人生の折り返し地点を前に、改めて自分の原点を振り返ると、そこには常に地元・三和の銘酒「雪中梅(せっちゅうばい)」の姿がありました。
今回は、一軒の酒屋が紡いできた歴史と、この酒が「伝説」となった背景についてお話しさせてください。
曾祖父・徳松の代から続く「店」の誇り
当店の棚の奥には、大切に保管している一枚の古い暦(カレンダー)があります。
昭和11(1936)年の末に、当時の店主である私の曾祖父・宮崎徳松がお客さまへ配ったものです。

そこには「宮崎徳松商店」という屋号が記されています。この三和の地で、雪中梅の丸山酒造場と同じ環境で商いをしてきた。具体的な記録こそありませんが、曾祖父の代から「雪中梅」の正規特約店として歩みを共にしてきたことは、私にとって何物にも代えがたい誇りです。
時代が「本物」を見つけた日:品評会の快挙と佐々木久子さん
雪中梅が地元・上越の地酒から、全国の愛好家が憧れる「幻の酒」へと飛躍したのには、語り継がれるエピソードがあります。
大きな契機となったのは、昭和47(1972)年の全国清酒類品評会でした。雪中梅はこのコンクールで1位と2位を独占するという前代未聞の快挙を成し遂げます。当時、新潟酒の主流は「淡麗辛口」でしたが、この受賞により「上越に、素晴らしい旨口の酒がある」と全国に衝撃を与えたのです。
その魅力をさらに世に広めたのが、雑誌『酒』の編集長として知られる佐々木久子さんでした。「本物の酒」を求めて全国を歩いた彼女は、丸山酒造場の誠実な酒造りと、その柔らかな味わいを激賞しました。
元麹屋としての高い技術、そして四代目蔵元・丸山三郎治氏が掲げた「汗を流して働く人々の疲れを癒やし、二合も飲めば満足できる酒でありたい」という哲学。それらが、時代を代表する目利きたちによって「発見」された瞬間でした。
この四代目の想いが詰まった、現在の雪中梅のラインナップはこちらからご覧いただけます。
一升瓶を背負って通学した「あの日」
私が生まれた昭和51年は、まさにそのブームが熱を帯びていた頃です。昭和50年に結婚した両親の披露宴の写真にも、母方の祖父が祝い酒として注いでいる雪中梅が映っていました。
子供の頃の記憶にあるのは、店頭に並べれば即座に完売し、販売を制限せざるを得なかった光景です。
高校時代には、今では笑い話ですが、「注文するから、おまえが持ってこい」と先生に頼まれて一升瓶をリュックに背負い、原付バイクで登校したこともありました。面倒だな…とは思っていましたが、一升瓶の重みが背中に伝わるたび、「雪中梅ってすごい人気なんだな」と実感した記憶が蘇ります。
そんな環境で育った私は、この仕事に就く前から、友人に「美味しい酒はないか?」と聞かれると迷わず雪中梅を勧めていました。日本酒に慣れていない人でも、一口飲めば「美味しい!」と笑顔になる。その瞬間が、自分のことのように嬉しかったのを覚えています。
初めての方にもおすすめしたい、雪中梅の一覧をぜひチェックしてみてください。
50歳、これからの人生に寄り添う一本として
私と同じ世代の方々は、きっと責任ある日々を過ごし、人生のハイライトの時期を過ごしていらっしゃると思います。そんな方々にこそ、この優しい味わいを手にとっていただきたい。
雪中梅の甘みは、決してベタつくものではありません。里山の超軟水が育む、キレのよい上品な「淡麗旨口」です。それは、現代を生きる私たちの強張った心を、しなやかに解きほぐしてくれる「癒やし」の味です。
曾祖父・徳松から受け継いだこの店で、私はこれからも、蔵元の想いと物語を添えてお届けし続けます。上越の豊かな風土と、私たちの家族の物語が詰まった一滴を、ぜひゆっくりとお楽しみください。
【店舗情報】
地酒の店かじや(株式会社かじや)
- 店長: 宮崎 文徳
- 住所: 新潟県上越市三和区下中1502 (Googleマップが開きます)
- ウェブサイト: https://kajiyanet.com/
- 雪中梅 正規特約店

